蝶が舞う「たねや農藝」の北之庄菜園では大きな動きがありました。その1つが夏野菜の苗植え。
昨年トマトやカボチャ、トウモロコシなどを植えましたが、カラスに狙われ対策の課題が残り、土づくりに励む1年となりました。
「トウガラシ」
夏野菜を植える為、まずは4月7日に畑の畝(うね)整備を行いました。
2週間後の4月24日。「キュウリ」は立派な葉をつけ、苗は畑に移動。ツルが巻き付きやすいように支柱も
みんなで組み立てました。
5月7日、8日は永源寺農園のメンバーも駆けつけ、様々な苗が賑やかに並びました。
昨年大変悩まされたカラス。その対策として今回考えたのは畑全体の形に変化を持たせること。
「冬瓜」のように地を這うツルものから「青ジソ」、腰程の高さの「枝豆」「トウガラシ」、胸程まで伸びる「オクラ」と徐々に高さが出るように工夫しました。 高さを作ることで作物を見えにくくし、ツルには足がひっかかりやすいように工夫されています。
様々な問題に対策を練りながら、一つ一つが試行錯誤の毎日です。
さぁ、この夏はどのような出来栄えになるでしょう。
経験を積み重ねながら、日々自然と共に前進していきたいと思います。
北之庄菜園ではオーガニックの野菜づくりに取り組み、素材そのものの味がしっかり生きた“本物”の美味しさを追求しています。
※讃岐園長による記事「北之庄菜園に託された想い」はこちら
栗百本―
その名の通り「栗の木を100本使う」がコンセプトの一つ、ラ コリーナ近江八幡に新たに計画を進める施設です。
あたたかみのある栗材の表情を感じながら、できたてのお菓子や食事を楽しんでいただける空間。産みたての新鮮な卵を使った「カステラ専門店」を計画しています。焼き立ての“カステラ”はもちろん、こだわりの卵のおいしさを活かした“オムライス”や“卵かけごはん”など、プランは広がります。
メインショップの「草屋根」に続いて、設計を担当してくださるのは建築史家・建築家の藤森照信先生です。
4月下旬、藤森先生と私たちは「100本の栗の木」をもとめて長野県木曽郡木曽町を訪れました。
古くから信仰の山として畏敬を集めてきた御岳山。まだ雪の残る壮大な霊山のふもと、ナラやクルミなど、さまざまな種類の木々が自生する雑木の山に入りました。
今回の視察には社長と担当者も同行しました。藤森先生は「実際に山に行って木を見ると、いろんなことを感じてもらえる。木の最初の姿から見てもらうことが大切」と話します。
標高1000メートル近くある山の気候はまだ初春。澄んだ空気は少しひんやり、フキノトウが顔を出していました。
案内役はこの山をよく知る三澤總喜さんと川邉武さん。お二人とも長年にわたって林業に携わる「山の大ベテラン」です。
山中はとても静かでした。谷を流れる川のせせらぎとどこからともなく聞こえてくる生き物の気配、三澤さんが腰に付けた熊よけの鈴が「リーン、リーン」と鳴る音だけが響きます。
「熊が冬眠明けでお腹すかしてますから、もしおったら大声出さずにゆっくり後ろに下がってください」。
木には熊が樹皮をはがしたという生々しい跡も!!
熊との遭遇を思うと怖かったですが、これから出会う「栗の木」への期待で胸は高鳴りました。
進むのは45度を超える険しい斜面。山を知り尽くすお二人の後ろを付いていくのは精いっぱい、汗びっしょりです。素人には、どれが栗の木かさえ分かりません。
特に栗とナラはそっくりなので、根元を少し削って見分け、目印の赤いリボンを結んでいきます。
「これいいね!栗の良さがある」「おもしろい!」
息が上がる私たちの先頭を行くのは藤森先生です。 活き活きとした表情で、軽快にどんどん進んで行かれます。
「これは栗百本の一番正面のところにしましょう」
先生の頭の中にはこれからできる栗百本の“カタチ”がくっきりと浮かび上がっているようでした。
最後に忘れられない出会いがありました。
樹齢100年を超えるであろう栗の大木。力強い根から伸びた幹は途中で二股に分かれ、高い高い梢まで続きます。 見上げると、思わず息を飲みました。しばらく言葉が出ません。ただ、じっと眺めていました。
「すごい」
皆が魅せられた瞬間でした。
以前は腐りにくく丈夫で加工しやすいという特徴から、建物の基礎や線路の枕木として重宝されてきたという栗材。縄文時代から食材や木材として使われてきたという調査結果もあるほど、「日本の木の文化」において大切な存在だったそうです。 しかし、今では数が少なく手に入りにくいとされています。
藤森先生は自身の個性的な建築に何度も栗材を用いてきました。一般的にはまっすぐで枝や節がなく、加工しやすい木材が良いとされますが、先生は「普通だったら捨ててしまうようなやつがほしい」と言います。
自然のまま、山にあるままの姿で切り出してもらうよう業者の方に依頼するそうです。
曲がっている木を「おもしろい」と建築に取り入れてきた藤森先生。今回の視察でその理由が少しだけ分かったような気がしました。
今回出会った栗の木は全て天然のもの。初めから木材として使われるために植林された木でははく、栗の実が土に落ち、芽が出て、大きな木になる。数百年もの物語を感じる、圧倒的な存在感に強く惹かれたのだと思います。
木にも遺伝があるのだといいます。「同じように2本並んでいても1本は中が黒、もう1本は赤い」とか。
自然は永い永い時を超えて受け継がれているのだと、当たり前でとても大切なことを教えられました。
自然が営んできた果てしない時間の経過を思うと人間はとてもちっぽけにも感じますが、私たちはここラ コリーナ近江八幡を、次の世代につなげてゆく場所、人と自然が共に生きる場所にしたいと考えています。
ゆったりとした自然の流れに寄り添いながら、永い年月をかけて歩んで行きたいのです。
山からの帰り道、先生はさっそくノートを取り出し、鉛筆でスケッチを始めました。
たくさんの栗の木との出会いが、先生のイメージをさらに大きく刺激したようです。
屋根に草が生えたメインショップに続いてみなさまをお迎えするのは、どんなユニークお店になるのでしょうか。
みなさまを「栗百本」にお迎えできる日が待ち遠しいです。こうご期待ください!
※藤森先生に関する過去の記事はこちら。
5月6日(水)建築設計の藤森先生をはじめ、工事関係者の方々と工事の無事を祈って地鎮祭が執り行われました。
銅屋根という名の建築物は本社機能を備えた「人が集う場所」。
いつでも人々が集い、にぎわい、新しい価値を生みだし、発信していく。
ラ コリーナ近江八幡にさらに新たな物語がはじまります。
ラ コリーナ近江八幡 メインショップがオープンしてから3ヶ月が経ちました。
暖かくなり、屋根の芝が青みを帯びてきています。
草屋根の軒下部分に取り付けた芝ロール。
藤森先生の指示のもと、従業員・業者さん・学生さんとで110本もの芝のロールを作って取り付けたのは昨年の11月。
この芝ロールからも芝が飛び出してきました。
高麗芝が成長するのは春から秋にかけて、夏が最も良く育つ成長期だそう。
冬の休眠期で枯れたような色だった芝が春になって再び成長し始め、綺麗な緑色の芝生に変わります。
これからさらに芝が伸びて背景の八幡山の景色にとけ込んでゆきます。
店舗までのアプローチに目印のように立つ柿笠。
屋根に植えられた柿にも新芽が出てきました。
これから夏に向かって植物が育ち、鳥や蝶など自然の生き物も訪れ、ラ コリーナの森が少しずつ表情を変えてゆく。
自然が織りなす四季折々の色に、これまでとは違う発見がありそうです。
3月14、15日に、左義長まつりが行われました。
近江八幡の日牟禮八幡宮で行われる「左義長まつり」。
古くは安土城下で織田信長も踊りの輪に加わったとされる由緒あるお祭りです。左義長とは松明・ダシ・12月(赤紙)をひとつにしたもの。現在は、安土から移り住んだ八幡山城下の人々が町ごとに左義長を作り、13基の出来栄えを競うコンクールも行われます。
祭りの2カ月ほど前から、町の会所には夜な夜な老若男女が集います。
10代から70代まで、さまざまな年代が毎晩顔を突き合わせ、各町の特色を活かしたダシを作り上げます。五穀豊穣を願い、その年の干支をテーマに穀物や海産物などの食べ物を使うのが伝統ですが、「どんだけ綺麗に作っても、ムシ(干支の部分)が生きてなあかん」と言います。切干大根やスルメ、昆布などを張り付ける細かい作業を見ていると、少しずつ命が吹き込まれていくようでした。
作り方は一つひとつ教わるわけではありません。「見てたら自然と覚える」と言います。
父から子の世代へ、技はしっかりと受け継がれてゆきます。
連日作業は深夜まで続き、寝不足で体力も限界に近づきます。「どうしてこんなにも一生懸命になれるのですか」と尋ねずにはいられませんでした。
「小さい時から祭りがあるのは当たり前。考えたこともないなぁ」。祭りに熱中する親の姿を見て育ち、大きくなったら左義長をやる。そこに理由はなく、自然の流れ。当たり前に身近にあって、当たり前に続いていくのが左義長まつりでした。「大変やけど、基本はみんなまつりが好きってことやと思う」。会所に集まるみなさんの気持ちは一つでした。
「この2カ月で1年以上の濃い時間を一緒にすごす」と言います。
家族のような兄弟のような力強い関係性がそこにはありました。
「チョーヤレ、ヤーレ、ヤーレ…」威勢のいい掛け声と下駄の音、拍子が鮮やかに町中に響きわたる今日は祭りの日。
初日は「渡御(とぎょ)」といって、町によっては1トン近くあるダシを30人ほどで担ぎ、練り歩きます。肩や首がはれ上がっても、下駄の鼻緒が切れても、足を進めるのは待っていてくれる人たちがいるからです。
家の前を通る左義長を30年以上楽しみにしているご夫婦、母国にはない祭りの文化に魅せられたアメリカ人の男性にも出会いました。福祉施設では、縁側に椅子を並べた利用者のお年寄りが懐かしそうに歓声を上げていました。
為心町の表具屋立木米さんのところには今年もたくさんの“子どもら”が駆け寄り、手を握ってゆきました。
「おかあちゃん、いつもおおきに!」「冷たい手して。風邪ひかんといてな!」これからもずっと続いてほしい思うほど、心が温かくなる光景でした。
4年まえ、左義長まつりの前日に東日本大震災はありました。
宮司の決定で初日の渡御が取りやめとなると、「ケンカ(ダシとダシのぶつかり合い)」で大いに盛り上がる2日目、新町通りは「渡御」をすることを選びました。「ケンカはせえへん。やっぱり回ったほうがいいと思う」。当日を取り仕切る年長(若衆頭)の言葉に、みなが共感し、町中の無病息災を願って練り歩きました。毎年楽しみに、玄関先にいすを出して待っていてくれる人のために。
賑やかさや楽しさだけではなく、左義長に込められた何世代も受け継がれてきた想いを、若い世代はしっかりと引き継いでいます。
祭りに熱中し、勇ましくダシを担ぎ上げる大人たちは、いつの時代も子どもたちのあこがれ。子どもたちも大人顔負けに、赤紙を見たら血がさわぐようでした。もう立派に左義長まつりを体現していました。
日が暮れると、祭りはクライマックスへ向かいます。
ダシに火を放ち神にささげる奉火は、夜空に火の粉が舞うとても神秘的な儀式のようでした。
「やりきった」という達成感と心地いい脱力感、疲れと眠気が混ざり合う中、心はもう来年の左義長に向かっていました。
歴史や文化はこうやって受け継がれ繰り返されてゆくのだと、心を打たれました。
普段は静かな町屋造りの通りにも、古くから続く職人の町にも、脈々と流れる熱が湧き出たように、活気あふれる2日間でした。たねやグループの従業員の中にも先祖から近江八幡に住み、左義長まつりに情熱を燃やす者がいます。
そこには、近江八幡に生きる人々の誇りがありました。
いくつになっても熱くなれる、夢中になれるもの。それが左義長まつり。 祭りが生き、人が集う町、近江八幡。
私たちが目指すラ コリーナ近江八幡も、熱い想いと穏やかな関係で結ばれた人と人が集う場所になってほしいと願っています。
日牟禮八幡宮で行われた盛大な祭りとそこに集う多くの人たちの熱気を体いっぱいに感じ、近江八幡のこの地で商いをさせていただいているのだと、ありがたく誇らしい気持ちが溢れてきました。
4月14日(火)、15日(水)には、春の三大火祭り「八幡まつり」が日牟禮八幡宮で行われます。