季節をめぐるお菓子

雅と鄙美 イラスト

春のコラム

雅と鄙美

古代人は〈鄙〉の価値を知っていました

晴れた日、近江八幡を見晴るかす八幡山に登ると、そこから見える自然は古代の人々が眺めたものとそれほど変わりはないのだろうと思わされます。柔らかく霞む山々のたおやかな姿。よしに囲まれた西にし。春や夏には稲が緑なす平野。伊吹おろしと呼ばれる強風から守ってくれる低山に囲まれ、水にも恵まれた平坦な土地は、ここにたどり着いた古代人を「稲を作るのにふさわしい場所だ」と喜ばせたに違いありません。災害の多い日本にあっては例外的におだやかな近江で、人々はゆっくりと歴史を紡いできました。

667年、天智天皇が飛鳥岡本宮あすかおかもとのみや(今の奈良県)から大津に都を移した当時、近江に広がる蒲生野がもうのは薬草を採り、猟を楽しむところでした。暑い夏に向かえば冷房装置のない時代、水は腐り疫病が流行り始めます。そんな旧暦の5月5日、宮中の人々は一斉に薬猟くすりがりに繰り出しました(旧暦の5月は真夏に当たります)。女たちは手にへらかごを持ち、野に分け入るのです。集められた薬は薬玉くすだまに作られ、疫病退散・無病息災を願って宮中に飾りつけられました。男たちは弓矢を持って馬をあやつり、獲物を追いかけます。それぞれの皇子たちの宮ごとに獲物の数を競いあったともいわれています。夏の一日、広い野原の中で存分に身体を動かし、薬草の香りに包まれながら季節を楽しむのが習慣だったのでしょう。夜になれば宴の席が設けられ、酒を酌み交わし、和歌が詠まれました。まさに〈ひな〉=都から離れた場所、田舎の愉しみです。都びとは〈鄙〉の美しさや喜びをよく知っていたのです。八幡山からの眺めはそんなことも思い起こさせます。

〈雅〉に学びつつ
〈鄙美〉を極めます

大津京が壬申の乱によって
荒廃してのち、
約120年の時を経て今の京都の地に平安京が開かれます。それ以来京都においてはさまざまな文化が生み出されてきました。今に至っても、京都は長い歴史と文化の力で世界中の人々を引きつけています。宮廷風の文化を表す〈雅 みやび〉とは、まさに京都の魅力を一言で言い表す言葉でしょう。優雅で洗練された文物や人々の振る舞い。さらに、古いものを尊びながら次々に新しいものを生み出す活力や知的風土もあります。お菓子の世界でも、茶道が発達した京都では和菓子が独自の発展を遂げました。季節を取り入れた美しい色と形の和菓子の歴史は、確かに京都を中心として受け継がれてきたものです。目と舌の肥えた客が職人たちを鍛え、育てました。洋菓子やパンのおいしさでも京都は定評があります。和菓子で培った力はどこでも応用がきくのでしょう。

一方、たねやが誕生した近江は農業が盛んで、素朴な土地柄でした。京都のすぐ近くにありながら、気風は随分と違います。この土地を愛し、生かすためにはどうすれば良いのだろうか。それを考え抜いた先にたどり着いたのは、〈雅〉に学びながらも〈雅〉を真似するのではなく、〈鄙〉の価値、〈鄙〉の美を徹底的に追い求めることでした。洗練された都市と同じやり方で競っても仕方がありません。〈鄙〉には〈鄙〉の生き方があります。それを極めればきっと、〈雅〉とは異なる魅力を放ち始めるでしょう。それをたねやでは〈鄙美 ひなび〉と言い習わしてきました。〈雅〉を尊敬しつつ、あえて別の道を行くことにしたのです。

近江だからできる
〈身土不二〉を
考えます

ハレとケなら〈ケ〉。
和菓子の基本であるお饅頭、餅菓子、最中、どら焼きなど〈朝生あさなま〉(朝つくり、その日のうちに売り切る和菓子)は、日々改善を加えながらも日常的に楽しめるお菓子として作られ、お客様に愛されてきました。それを支えたのが近江の風土です。

都市は高い経済力を持ち、必要なものを集めることができます。それは〈鄙〉にはできない相談でした。代わりにあるのは農業や林業、漁業に適した豊かな自然です。土地との結びつきを強めていけば、自分たちが求める高い品質のお菓子にふさわしい材料も手に入りやすくなります。たねやでは、お菓子の材料のなかでももち米やヨモギを地元から仕入れてきました。農家の方々と良い関係を結び、時には自社農園まで作って納得のいく作物を手に入れてきたのです。

土に根差し、土から離れまい。日本には〈しん〉という言葉があります。その人が生きてきた土地と身体は密接に結びついており、切り離すことはできないという意味です。近年はグローバル化が進み、大都市では世界中の珍しい食物がいくらでも手に入るようになりました。いえ、たとえ珍しくなくても利益を追求するため、安価でありさえすれば競うように買い求めてきたのが近年の風潮といえましょう。今では季節が逆になる南半球からも農作物が届くため、本来は春に収穫される野菜や果物が秋のスーパーに並んでいることも珍しくありません。

しかし、一旦災害や戦争が起きれば、遠い土地から買い付けていたものは手に入りにくくなります。世界の人口が急増している今、作物を手に入れるのも競争です。今さらグローバル化を完全否定することはできませんが、人間の身体を作るはずの農作物まで世界的な分業に頼っていてよいのだろうか。そんな疑問も浮かびます。

古代の宮廷人が薬草を集めた近江の自然、その真ん中にたねやは生まれ、2015年には四季折々に美しい八幡山の麓に〈ラ コリーナ近江八幡〉を作りました。ここでたねやは今後も〈鄙美〉を追い求め、高めていこうと考えています。