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柏の木は落葉樹ですが、新しい芽が出るまで葉が落ちないことから子孫繁栄・家運隆盛の象徴とされ、特に家門の繁栄を強く願う武家にとっては大事な植物とされていました。その柏の大きな葉で新粉を蒸した餡入りの餅を包んだ〈重五の節供、端午の節供〉のお菓子が柏餅です。今でも東日本で柏餅の人気が高いのは、武家社会の伝統が伝わったものかもしれません。たねやの柏餅はこし餡・粒餡・みそ餡の三種類。お餅にほんのりと移った柏の香りが季節感をかもし出します。
東が柏餅なら西は粽。こちらの端午の節供には公家社会の伝統が伝わっています。近江米の新粉餅や葛で作られた甘い生地を爽やかに香る笹の葉に包み、蒸して作られます。たねやの粽は白砂糖と黒糖の二種類の風味があります。
粽はもともと中国の故事に由来したお菓子。詩人としても名高い政治家の屈原が王をいさめたところ聞き入れられず、汨羅の淵に身を投げたのが5月5日。命日になると屈原を悼む人々が粽を投げ入れたのが始まりです。
平安時代、夏の暑さをしのぐために作られたのが氷を保存しておく〈氷室〉でした。冬に切り出して夏まで保存された氷は非常に珍重され、細かく削ったものに甘い蜜をかけるなどして楽しまれました。旧暦の6月1日には賜氷節の行事として、群臣にも氷が分け与えられました。その昔、近江の比良山系のふもとにも氷室があったとか。たねやの〈氷室〉は氷に見立てた三角の羊羹を添え、みそ風味に仕立てた道明寺を外郎生地で包んだ手の込んだお菓子です。
6月16日は〈和菓子の日〉。平安期に白い亀が見つかり、吉兆として宮廷に献上されたことを祝って元号を〈嘉祥〉と改めたのが旧暦の6月16日でした。その際、お菓子や餅を神前に供えたことにちなんで〈和菓子の日〉と定められたのです。
たねやではこし餡をお餅で包み滋賀羽二重糯と十穀米を亀甲に見立てて飾りました。お菓子を入れた箱にも亀の意匠を添えてあります。
六月の晦日は一年のうち半分がすぎた〈夏越大祓〉の日。半年間のケガレを祓い、茅の輪をくぐって疫病退散と無病息災を願います。旧暦の六月は猛暑の最中で疫病に倒れる人も多く、人々が健康を願う気持ちはひとしおだったでしょう。現代でもこの日は氷室の氷を模した〈水無月〉を食べて、かつての厳しい夏をしのびます。
外郎生地の上にのせた小豆には厄除の意味が込められているとか。水無月が三角なのは四角い氷を二つに割った形で、「一年の半分を無事に終えた感謝」の気持ちで半分をいただき、「これからの半年の安息を願う」という気持ちでもう半分をいただくものといわれています。
牽牛と織女をへだてている天の川。しかし七夕の夜だけはカササギたちが羽を広げて橋を作り二人を渡すという美しい伝説があります。〈星あかり〉は冷たく透明な葛で川の流れるさまを、中にそっと閉じ込められた小豆と、細かく切った日向夏の皮で星を表現したお菓子。笹で包んで爽やかな香りを移した味わいはこの季節にふさわしいものです。夜空に白く流れる天の川を見上げながら、つるりとした喉越しを楽しむひと時は暑さも忘れさせてくれるでしょう。
暑い夏の京都を象徴するお祭りが〈祇園祭〉です。869年(貞観11年)、都に疫病が流行した際、当時の国の数である66本の鉾を作って病魔退散を祈願した〈御霊会〉が始まりと伝えられます。
あっさりとしたこし餡を生麩で包んで蒸しあげ、笹の葉で包んだ〈ぎおんさん〉は、山鉾巡行(前祭)の日に並びます。殺菌力の高い笹の香りに病魔退散を願う心が感じ取れるでしょう。
〈土用〉とは立春・立夏・立秋・立冬直前の18日間のこと。季節の変わり目として注意しなくてはいけないと言われてきました。とりわけ夏の土用は暑さ厳しく、疫病の流行りやすい時期で、食養生が大切です。
たねやの土用餅は「土用の入りに食べると暑気当たりしない」と言われる小豆餡を一口大のふくよかなお餅にかけてあり、なめらかな口あたりが身上。食欲の落ちる土用、身体をいたわる滋養ある一品です。
旧暦8月1日=八朔は〈田の実の節〉とも呼ばれ、〈頼み〉にも通じることから、秋の豊作を願う日として、いち早く収穫した作物を神前にお供えする習慣がありました。
たねやの八朔福搗餅は、粗く挽いたもち米に黍を混ぜて蒸し、砂糖と塩を合わせて搗いたもの。それに香りの良いきな粉と胡麻をかけました。いち早く収穫を味わいつつ、これからの豊作を祈願する農村らしさを漂わせたお菓子です。