季節をめぐるお菓子

十五夜と十三夜 イラスト

秋のコラム

十五夜と十三夜

〈十五夜〉の別名は〈芋名月〉です

明治5年に暦がそれまで使われていた〈旧暦=太陰太陽暦〉から〈新暦=太陽暦〉に改められ、多くの伝統行事が新暦で行われるように変わっていきました。しかし、どれほど時代が変わっても変化のない行事が〈十五夜〉。旧暦の8月15日になると、現代人もお月さまへのお供えを調え、お月見を楽しみます。スーパーではススキやリンドウなどの秋草が大量に売られるのです。

私たちが今使っている新暦は太陽の運行(実際は地球の公転運動)に従う暦。地球の公転が365日でそれが1年(1太陽年)となります。一方旧暦とは月の動きが基本となる暦。月が地球を1回転する周期が1カ月(1さくぼうげつ)。1日ついたち(朔日)は〈新月〉となり、月はありません。そのあとは少しずつ月が満ちていき、15日前後に満月となります。それが欠け始めて次の月の1日には再び新月に。昔の人たちは月の形を見るだけで、大体その日が何日に当たるのか見当をつけることができました。

〈十五夜〉は〈中秋の名月〉と呼ばれるとおり、旧暦8月15日の丸く美しい月を愛でる風習です。旧暦でなければ意味がありません。これほど変化がはっきり目に見えない〈七夕〉は早々に新暦へと置き換わってしまいました。〈十五夜〉を新暦に置き換えると毎年時期は移り変わり、早ければ新暦9月、遅ければ10月半ばになることもあります。2022年であれば9月10日が、2023年であれば9月29日が旧暦8月15日に当たります。気候温暖化が進んだ現代ではまだ蒸し暑く、〈秋〉には早い地方もあることでしょう。

それでも自然は正直。日没がだいぶ早くなり、植物は敏感に反応してススキが揺れ、萩など秋の花も咲き始めます。人々は野に出てそれらを刈り取り、籠や花瓶に活けてお月さまに捧げました。豆類や里芋など旬を迎えた作物や月見団子をお供えとします。〈十五夜〉の別名が〈豆名月〉や〈芋名月〉といわれるゆえんです。今では一年中店頭に並ぶ茄子も秋が一番おいしいといわれ、紫色のつややかな姿をお供えに加えることがあります。農作物の旬がはっきりしていた時代には、季節の作物は人々にとって殊のほか嬉しいものだったでしょう。秋の収穫に感謝し、それをお月さまにもお分けする。そんな心持ちがあったのかもしれません。

人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎の名作『ふたつ蝶々ちょうちょうくるにっ』の中の〈引窓〉では、主人公の南方十次兵衛宅で、老母・お幸と妻・お早が十五夜の支度をする姿が季節感を漂わせます。お団子を三方さんぽう神饌しんせんをのせる時などに使われるヒノキの台のこと)に盛りつけ、ススキと共にお供えするのです。特に文楽では、お早の人形が里芋の皮をくるくると器用にむく姿が愛らしく、客席が沸くところ。〈十五夜〉が〈芋名月〉であることを象徴する場面といえます。丸くて白いお団子や丸くむいた里芋は、ちょうど満月と相似形に見えます。柔らかな新芋を皮ごと蒸してつるりと皮をむき、塩をつけていただく〈衣被〉 きぬかつぎ も季節の味として親しまれています。

楽しみは〈お月見泥棒〉でした

近江の田園地帯は街灯が少ないだけに、灯りを消せば家の中にいても満月の明るさを感じることができます。風に揺れるススキに月光が降り注げば、あたりは銀色に輝いてあたかも光の波のよう。昔は夜道に欠かせなかった提灯ちょうちんも満月の夜は不要になります。またこの日は日本のあちこちで〈お月見泥棒〉という風習を見ることができます。昔は長い棒の先に釘を打ち、それにお供えのお団子を刺して盗んでいくものでした。もちろんおとがめはなし。「お菓子をくれないと悪さをするぞ」という意味の言葉を口々に唱えながらやってくる子どもたち。今では〈ハロウィーン〉と同じようにあらかじめお菓子を詰めた袋を用意しておいて、家々を訪ねてくる子どもたちに渡すことが増えているそうです。子どもたちにとってはグループでにぎやかにご近所を訪ね歩き、お菓子をいただくという楽しい季節の行事なのです。

〈十三夜〉は日本独自の行事です

およそ1カ月後の旧暦9月13日は〈十三夜〉。〈のちの月〉とも呼ばれます。13日の月はまだ満月には早く、少し欠けた姿で昇ってきます。〈十五夜〉を愛でる風習は古代中国に由来しますが、〈十三夜〉は日本独自の風習。完全な形ではなく少し欠けた月に秋が深まる風情を感じとるのは、確かに日本的な感性なのかもしれません。〈十三夜〉は別名〈栗名月〉。拾い集めた栗などをお供えします。
〈十三夜〉の頃はだいぶ空も澄んできて、月の光も冴え冴えとしています。近江でも朝晩は気温が下がり、北国ではもう紅葉が盛りになる時期。夏の疲れが取れて食欲も増し、農作物や海産物もおいしいものが増えてきて、食いしん坊にはうれしい季節です。

ところがそんな〈十三夜〉を楽しむ人が減ってきています。〈十五夜〉は子どもを中心に楽しむ人が多いものの、気ぜわしい現代では〈十三夜〉は忘れがちになるのでしょうか。
明治時代の作家・樋口一葉の『十三夜』には「今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見の真似事に団子をこしらえてお月様にお備へ申せし(今夜は旧暦の十三夜、古い習慣だけれどもお月見の真似事にお団子をこしらえてお月様にお供えしよう)」という一文があります。既に一葉の時代にも東京では〈古い習慣〉とされていたようです。それでも地方では古い習慣が残っていたはずですし、〈十五夜〉のお月見だけをして〈十三夜〉を楽しまないことを〈片見月〉といって情がないと嫌がられたとか。忙しければ忙しいほど季節の行事を大切にして、自然との関わりを楽しみたいものです。