季節をめぐるお菓子

お正月と節分 イラスト

冬のコラム

お正月と節分

今も昔も節分の夜は楽しみでした

現代の日本で〈お正月〉といえば新暦の1月1日を指します。しかし旧暦の時代には立春の日を〈お正月〉とする考え方がありました。月の巡りに従う旧暦では毎年1月1日となる時期がずれていきます。新暦に置き換えるといろいろな気候の時にお正月が来てしまいます。年によっては立春の前になったり、2月半ば過ぎに巡ってきたりすることも珍しくありませんでした。一方二十四節気の〈立春〉は太陽の巡りで決まります。新暦なら2月4日頃が〈立春〉と決まっていますので、身体の感覚ではわかりやすいものでした。

〈立春〉の前日は〈節分〉。今でも節分の夜に外を歩いていると、寒気の中、ガラリと窓や玄関が開けられ、中から「鬼は外! 福は内!」の声が聞こえてくることがあります。スーパーでは鬼のお面がセットになった豆まき用の豆が売られ、次々と売れていきます。家族のうち誰が鬼を務めるのか、ジャンケンをするお宅もあることでしょう。

昔の宮中では〈つい〉の儀式が行われました。その夜のようすが鎌倉時代に吉田兼好が書いた『徒然草』の第十九段に描写されています。

「追儺より方拝ほうはいに続くこそ面白けれ。晦日つごもりの夜、いたうくらきに、松どもともして、なか過ぐるまで、人の、かど叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足をそらに惑ふが、あかつきがたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ」

節分の真っ暗な夜、たいまつに火を灯し、よその家々の門を叩いたり大声をあげたりして鬼を追い出し、新年を迎える行事なのです。今ではそれが簡略化され、豆をまいて鬼を追い出し、福の神を家に招き入れる行事に変わりました。『源氏物語』『蜻蛉かげろう日記』『えい物語』など他の古典文学にも〈追儺〉の話題が登場し、そこでは子どもたちが〈追儺〉を楽しみ、にぎやかに過ごす様が描かれます。現代でも豆まきは子どもにとって楽しみなもの。昔も今も変わらない、微笑ましい情景です。

と柊で一年の邪気を払います

時代は下り、江戸時代末期。家々では入口に塩漬けのイワシの頭とヒイラギの葉を挿して邪気を払いました。鰯は焼く時に臭いの強い煙が立ちます。また柊は葉のトゲによって邪気を払うといわれていたのです。今でもその習慣は受け継がれ、節分になると干した鰯と柊がセットになって売り出されます。

河竹黙阿弥が書いた歌舞伎『三人吉三さんにんきちさくるわの初買はつがい』の〈大川端おおかわばたの場〉には当時の節分の風俗が描かれています。主人公の一人・お嬢吉三がこんな七五調のセリフを名調子で語るのです。江戸時代の月夜の晩、隅田川に白魚獲りの船が浮かぶ春の景色。目に浮かぶようです。

〜月もおぼろに白魚の、かがりも霞む春の空、冷てえ風も微酔ほろよいに、心持よくうかうかと、かれがらすのただ一羽、ねぐらへ帰る川端で、さおしずくか濡手で粟、思いがけなく手にる百両、ほんに今夜は節分か〜

舞台では「ほんに今夜は節分か」の前に、遠くから、「御厄おんやく払いましょか、厄落し」という〈厄払い〉の声が聞こえてきます。これは、本来であれば厄年の者が神社にお参りして厄を落さなければならないところ、銭十二文をもらってその者の厄を自分の身に引き受けるという商売でした。厄払いの参詣を省略する横着者にとってはなんとも便利な商売があったものです。

時代は下り現在では、関西の花街で受け継がれてきたという〈恵方巻〉の行事が全国的に広まりました。その年の恵方を向き、切っていない太巻のお寿司を食べるというものですが、一般的には切った太巻を買ってきて食べるだけということも多いようです。ごはん作りの担い手にとっては献立を考える苦労からこの日ばかりは解放され、みんなでおいしい太巻を食べるという気軽さから一気に受け入れられたのでしょう。

季節のめぐりと共に喜びもめぐります

〈立春〉を一年の始まりとすれば、それから季節はひとまわり。
二十四節気では〈立春〉〈雨水〉〈啓蟄〉〈春分〉〈清明〉〈穀雨〉〈立夏〉〈小満〉〈芒種〉〈夏至〉〈小暑〉〈大暑〉〈立秋〉〈処暑〉〈白露〉〈秋分〉〈寒露〉〈霜降〉〈立冬〉〈小雪〉〈大雪〉〈冬至〉〈小寒〉〈大寒〉と移り変わっていき、〈節分〉で一年の区切りを迎えます。

日本の四季は寒暖の差が大きく、季節の変化がはっきりとしています。そのため農作物や海産物なども変化に富んでおり、寒い冬や暑い夏などに悩まされるとはいえ、豊かな食材には恵まれているといえます。

春になったら若菜摘みをしよう。筍や山菜を採りにいこう。柔らかなヨモギで草餅を作ろう。初夏には鰹を食べよう。夏になったら冷たく冷やしたそうめん。秋には、新米で松茸ごはん。冬には新酒とそのかすで粕汁を楽しもう。季節を追いかけながら山海の美味をいっぱいに味わえば、四方を海に囲まれ、山々が近い国に生きる喜びを全身で感じとることができるはずです。

お菓子の原料も農作物がほとんど。その土地の実りをいろいろなやり方で加工し、その季節らしい色合いや形にして目でも味わう工夫は、季節のめぐりを身体で感じてきた日本人らしいいとなみです。お菓子を味わうことは季節を味わうこと。私たちはこれからもその喜びを多くの人に届けていきたいと思うのです。